ばけものけもの


春。幼き三河の国主たる彼は、参入間もない豊臣での生活にやはり慣れぬ様子で本多の大きな影に隠れるようにぎこちなく城内を歩いている。見るのも聞くのも初めてのものが多く、庭に見事に咲き誇る沈丁花の株に目を奪われていたり演習で遠くから突如鳴り響いた種子島の音などに思わず肩を震わせてみたりと、傍から見ていてとても滑稽である。

夏。竹中の計らいで主と徳川とが接見す。竹中に連れられて部屋に入って来た主の顔をしばらく呆けたような顔で見つめていた徳川は、開口一番に美しいと漏らした。竹中は思わずと言った風に噴き出し、他方、主は眼光鋭く徳川を嘗め付けた。そこで初めて己の不躾さに気づいた徳川は平謝りを重ねたが、主の臍はなかなか曲がったままであった。

秋。徳川は主をいたく気に入ったようで、何かにつけて側に寄ってゆく。やれ城下に美味い菓子屋が出来ただの、馬舎で立派な雄馬が生まれただの、主の気を引こうと必死である。そのうち、元来明るく、人懐こい徳川の性格に絆されたのか、ごく稀に主が笑みを浮かべるようになった。徳川は、主の初めての友となった。

冬。ここ大阪の地にもよくよく雪が積もった。主と徳川は、鍛練の合間にどちらかの部屋に籠ることが多くなったのだが、聞けば、雪のため外にも出られぬから、竹中から賜った書物を二人で読み耽っているらしい。徳川が、そう、にこやかにのたまう。主の雪のような首筋に、鮮やかな赤い痕を見るようになったのは、この頃からか。

再び、春。縁側で一人いるところを、主と徳川に見つかった。己に何か、話したいことがあるらしい。徳川は、主の掌を固く握り、大きく息をついた。刑部、わしは、三成を娶ろうと思う。その表情は真剣そのものである。だから、まずは刑部の許しが欲しい。無邪気とは時に残酷よな。己はゆるりと隣の主を見やった。許しも何も、己は主が是と言えば是よ。そうのたまえば、主は頬をわずかに赤らめた。家康、お前が秀吉様よりも強くなればあるいは考えてやらないこともない。照れ隠しのつもりなのか。ふい、と徳川から目を逸らした主に、徳川は笑った。相分かった。約束だぞ、と。

めぐりめぐって、再びの春。
三河の国主たる徳川は、太閤を屠り、豊臣の世に終止符を打った。
袂を分かち、敵国の将となって再び主の前に現れた彼は、怒り狂った主をその大きな胸に閉じ込めて、約束通り、迎えに来た、とのたまったそうだ。あの頃より、徳川は少しも相違ない。無邪気とは時にひどく残酷なものである。