ここにいてここにいるよ
ああしまったと気づいた時にはとうに遅く
制服の上下のポケットというポケットを上から叩いてみても
すかすかとむなしい感触が掌から伝わるだけだった。
またどこかに落としてきてしまった。
そうぽつりと呟けば、隣でことの成り行きを見守っていた伊達が
おいおい一体何度目だよと呆れ顔でこちらを見やる。
そうして、今鳴らしてやるからと、胸ポケットから携帯電話を取り出し
タッチパネル式のそれの画面上を何度か指で叩いた後
ため息まじりに耳に押し当てた。しばしの沈黙。けれども、近くで音のする気配はない。
締めきられた窓の外から、さあさあと雨の音が聞こえて来るだけである。
まさか外に置いてきたとかじゃあないだろうな。
灰色で厚く覆われた空を窓越しに眺めながら彼がのたまう。
その可能性も無くはない。己の行動をゆるゆると記憶の奥底から手繰り寄せる。
昼食時にはメールのチェックをしていたから持っていたはずだ。
午後の授業中は鞄のサイドポケットに入れておいた。
放課後、掃除でゴミ捨てを頼まれた時に再び制服に戻して…、ああ、分かった。
ゴミの集積所に向かった折、隣のクラスの長曾我部と鉢合わせ
しばらく近くのベンチで話し込んでしまったのだ。
途中幾度か携帯を触って、ベンチの上に何気なく置いて
そのまま雨が降って来たので二人で慌てて校内へ逃げ込んだ。
だから、多分、あそこだ。
傘を差すのももどかしく、急ぎ校舎の隅に設置された集積所に向かう。
そこから程近くに誂えられた花壇の脇に古い木製のベンチがあり
己の携帯電話はそこに静かに鎮座していた。
三成、と呼べば彼はゆるりとこちらに視線寄越す。
ししどに濡れた銀の髪から覗く切れ長の目は、彼の心境を雄に物語っていた。
遅いぞ家康。
いや、すまなかった。
お前は何度私を落とせば気が済むのだ。
私は防水仕様だから良かったものを、とぶつぶつ恨み言を並べる彼の頬を
懐から取り出したハンドタオルで丁寧にぬぐい、再度謝罪する。
本当に、悪かった。もう、お前を一人にはしないから。
鈍く光る銀の髪の先からこぼれた水滴が、彼の白い肌の上をゆっくり伝っていくのを見送った。
じい、とこちらを見つめて来る琥珀の瞳の、なんと美しいことか。
…今度もし裏切れば、私はお前を許さない。
もはや馴染みになってしまった台詞を再び口にした彼は、刹那、ベンチから立ち上がり
濡れそぼったこちらの制服の腕の部分を、きゅ、と指先で掴んだ。
貴様は防水仕様という訳ではないのだから、早く戻るぞ。
そうして雨の中を颯爽と歩き始めた彼をぐいと引き寄せ
きつくきつく抱きしめたのは言うまでもない。
* * *
やさしさを無下に
一たび眠ればなかなか目を覚まさないのだ、この男は。
アラームの設定時刻である7時をまわり、早10分。
その後、ご丁寧に5分置きに鳴らされるよう設定されていたスヌーズ通知にももろともせず
未だ男は眠り続けている。
自らそのように設定したにも関わらず、起きる気配を微塵も見せない男の安らかなな寝顔に
腸が煮えかえる心地がする。
次のスヌーズで起きなければ残滅あるのみと固く心に近い、その時を待った。
家康、貴様いい加減に起きろ。
起きて、このように何度も呼びかける派目になった私に詫び、許しを乞え。
蒲団からの覗いた肩口を乱暴に揺すると彼の意識がわずかに浮上したようで
重く閉じられたまぶたがぴくりと動いた。ようやっとという淡い期待が胸中を駆け巡る。
けれども男は寝返りをひとつ打ち直したのみで、己の本懐を遂げることはなかった。
…残滅決定である。
私を愚弄する気か家康!起きろ!今すぐにだ!
耳元で叫び、蒲団を剥ぎ取るべく手をかけたところで、片方の手首をがしりと掴まれた。
男の、寝惚け眼とばちりと目が合う。あ、と思う間に引き寄せられ
気づけば男の腕の中に閉じ込められていた。
三成、うるさい。
もう黙って、と耳の近くで低く囁かれた声に、否応なく身震いがする。
起きの抜けの掠れた音は、やけに耳について身体の芯をどろりと溶かしてしまうから堪らない。
すっかり毒気を抜かれてしまった己の弱さに大きくため息をこぼし、仕方なくそのまままぶたを閉じた。
後で困るのは、あの男なだけだ。
タイトル
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