ただの愛情だと思うなよ


やめておけと言うのに、彼はどんどん先へと進んで行ってしまう。
膝丈くらいまである草を掻き分けていくその小さな背中に、何度も何度も呼びかけた。

「弁丸様、もう帰りましょう。」
「いやじゃ。」
「昌幸様も心配していますよきっと。」
「そんなはずなどない。」
「もう日も暮れてしまいますし、」
「ならばお前一人で戻れ。」

それが出来ないから、こうして追いかけているんでしょうが。
そのような言葉は喉元で留めておく。これだから、餓鬼のお守など嫌だったのだ。
真田の家に仕えるようになって早数年経ったが、弁丸様の扱いには未だ手を焼いていた。
武家の子らしく、言動や振舞いについてはよくよく躾がなされていたが
基本的には我儘で、傲慢で、癇癪を起してはすぐ泣いた。
ひとつ上の信之様は、あんなにも落ち着いているというのに。
この子の扱い辛さと言えば、真田の家ではもはや折り紙つきですらあった。

今日も、物書きの練習中に匙を投げてしまったところを昌幸様見つかり
こっぴどく叱られてしまったのに逆に腹を立て、思わず屋敷を飛び出して来てしまったのだ。
本当に、ほんとうに手のかかる子どもである。

彼は未だに歩みを止める気配を見せない。
町を抜け、丘を越え、すっかり山道へと入り込んでしまっていた。
秋は日が落ちるのが早い。闇の色が、もうすぐ傍まで迫って来ている。

「分かりました。」

そう言って、その場でぴたりと足を止めた。

「俺、もう戻らせていただきますね。」

そうして、くるりと後ろに向き直り、元来た道へと踵を返す。
背後の彼をちらりと窺えば、先ほどの勢いはどこへやら、獣道の真ん中でぽかんと口を開け、立ち尽くしていた。
構わず大股で進んでいくと、突然、周囲の空気が揺れた。

彼が、それはもう大きな声で泣きだしたのだ。
堰を切ったように涙のつぶが頬を伝って落ちてゆく。
あっと言う間にぐしゃぐしゃになってしまった顔で、佐助、佐助、と呼んでいる。
こうなることはある程度予想はしていたのだが、彼の激しさに度肝を抜かれた。
これではもう、放っておけやしないではないか。

彼のもとにゆっくりと歩み寄り、取り出した懐紙で涙を丁寧にぬぐってやった。
ひっく、と喉を鳴らした彼は、こちらを見上げて唇を尖らせる。

「お、お前は、俺の忍びであろう?俺を置いて帰るなどと、言うで、ない。」

途切れ途切れではあったが、確かに彼はそうのたまった。
俺様の主は、本当に傲慢なんだから!

「分かりました。一緒にお家へ帰りましょう?」

ねえ、弁丸様?と彼に手を差し伸べる。
一瞬のためらいの後、おずおずと握り返してきた彼の体温を感じながら
手のかかる子ほどかわいいとかなんとか言う言葉が頭を過り、思わず苦笑いを浮かべた。





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