赤鬼の話2
反動で、机と椅子がいくつか倒された。
騒然となる教室内とは反対に、幸村は殴られて赤く血の滲んだ口元を拭おうともせず
ただ茫然と床に座り込んでいた。
そんな状態の幸村を認めて、元親は一言頭を冷やせと言い
家康は、ほんの少し気遣わしげな視線を幸村に送った後、何も言わずにその場を後にした。
ややあって、ようやく教室の空気が動き始めた。
休み時間にふらりと教室を出ていったまま
授業が始まっても政宗が戻って来ないということはよくあることだ。
それでも最近は昼休みになると律儀に教室に帰って来て
元親や家康と必ず昼食をとるようになったのだから
猫も懐いたものだなあと、元親は感慨深い思いすらしていた。
けれど今日は珍しく、昼休みになっても政宗が戻らなかったため
元親と家康は心当たりをしらみつぶしに調べてみたのだが、これがなかなか見つからなかった。
たまに真田幸村と昼食を取っているらしい屋上に始まり
彼曰く昼寝をするのに最適な理科準備室や、茶道部の部室まで見て回ったのだが、どこも外れ。
まさか体調を悪くして休んでいるのでは?という家康の提案で
最後に訪れた保健室にてやっと政宗の姿を認めたのだった。
保健医は外出中らしく、一人ベッドでうずくまっている政宗の様子が
何かおかしいということに気づいたのは家康で
そのあまりの衰弱ぶりにどうしたのだと尋ねるのだが
何でもない、具合が悪いから寝ていただけだの1点張り。
これでは埒があかないと、元親がベッドの中の政宗を無理やり引っ張り出そうとしたところで
やめろと彼が叫び、元親は顔をしかめた。
勢いで掴んだ政宗の手首には、くっきりと人の手型に痣が出来ており、所々血が滲んでいた。
誰にやられた?元親が凄むが、政宗は無言のままだ。いいから言え、誰にやられた?
見れば、手首の痣は反対の腕にも同じように残っていて、元親は黙りこむ政宗にさらに畳み掛けた。
言いたくないなら、俺が言う。頷くか、違うのならば首を振れ。
そうして元親は静かにその名を口にした。
―真田だな?
政宗は、しばらくの沈黙の後、ほんのわずかに首肯した。
人を殴ったのは一度や二度の話ではない。
けれど、ここまで頭に血が上った状態で誰かに手を挙げるのは初めてだったかもしれないと
元親は右の手を擦りながら思った。
喧嘩はいつもどこか楽しんでやっていたから、その分自分で手加減が出来ていた。
言ってしまえば、彼にとって喧嘩は祭りであり、娯楽だ。
真田幸村と政宗が付き合っているということは、直接政宗から聞いた訳ではないが
元親も家康も何となく分かっていたし、時たま二人で昼食を取ったり
一緒に帰ったりしているということを知り、何とも微笑ましい気持ちになったものだ。
しかし、政宗がこんな扱いをされているとは、全くもって寝耳に水である。
彼の手首は家康の手できちんと手当がなされているものの
あの様子ではしばらく痣は消えないであろう。
制服が冬服に変わったばかりで、包帯が目立たないことがせめてもの救いだった。
あの者は、隣で歩く家康が眉を顰めながら呟いた。
その身の内に鬼を飼っているのかもしれないな。
鬼。と元親は心の中で繰り返して、甘んじて自分に殴られ床にへたり込んだ幸村を思い出していた。
同時に、背筋が薄ら寒くなる心地がして元親は小さく舌打ちをする。
普段はころころと表情を変える幸村の目は、あの時やけに虚ろで色がなく
しかし不気味な程に凪いでいた。