さあ 始まりのキスをして

 

かの人を初めて見たのは高校に上がったばかりのことだ。
5月の新緑の時期、近所の公園で野点が行われるのに
信玄に誘われるまま興味半分で赴いた。
もちろんあとの半分は甘味目当てであったが。

色とりどりの振袖に身を包んだ女性たちが
サカサカとお茶を立てる様子は見ているだけで存外に楽しく
どうぞと差し出された茶も一緒に出されていた生菓子のお陰か
素直に美味いと感じることができた。

信玄が馴染みの茶道の家元に挨拶に行っている間
食後の運動がてら会場をぐるりと回っていると
ひと際人だかりができている箇所があり、ふと覗いてみると
珍しく男性が茶を立てていた。

剣道の胴着のように見えなくもない和服に身を包み
静かに茶をふるまっていたその男は
幸村とそう年端も変わらないように見えたが
纏う雰囲気だとか長い黒髪から時折のぞく切れ長の瞳だとかは
自分と比べて幾分も大人びて見えたため印象に残り
戻ってきた信玄にあの方を知っておられますかと尋ねると
件の家元のところで時たま茶を習いに来ている高校生で、伊達という者らしい。


伊達殿と口の中で反芻すると何かすとんと胸の中に落ちついて
またぜひ野点に誘って下されと信玄に頼めば
彼は少し意外そうな顔をした後、満足そうに微笑み
相分かったと幸村の頭をくしゃりと撫でた。


その後信玄に連れられて何度か野点に足を運んでみたものの
かの人と遭遇することは一度もなかった。
元より手伝いで参加していたということは件の家元から聞き及んでいたのだが
ここまで会えないものかとさすがの幸村もうなだれていたところ
信玄はじめ親しい人間以外にあまり興味を持たない幸村にしては珍しいことだと
佐助は目を丸くした。
そして、そんな旦那にひとついい情報をあげると意味有りげな笑みを浮かべて
伊達は俺達と同じ高校に通っているよとのたまった。
佐助が言うことには、伊達は幸村たちと同じ学年で
なんと高校でも茶道部に所属しているらしい。
いよいよいても立ってもいられなくなった幸村は取り急ぎ伊達のクラスを教えてもらい
その日の昼休みには伊達のクラスに意気揚揚と乗り込んだ。
いつも思うのだが、佐助の情報網は一体どこから来ているのだろうか。

こうして幸村は伊達を首尾よく呼び出すことに成功したのだが
これといった用向きを考えないまま勢い馳せ参じたため
かの人を目の前にしてぐうの音一つ出すことが出来なかった。

思い余った幸村が、今度某のために茶を立てて下されと申し立てたところ
なんとなしにことの成行きを見守っていた周囲を爆笑の渦に巻き込んだだけでなく
図らずも騒動の中心に身を置くこととなった伊達から
初対面にも関わらず教室から蹴りだされるという不名誉極まりない形で
二人の邂逅は幕を閉じたのであった。


それからしばらく伊達への謝罪と茶立ての依頼のために
別校舎から毎日のように訪れる輩がいると校内でちょっとした話題となり
それらの噂に頭を抱えた伊達が絞り出すような声で
部活は水曜日と金曜日であると幸村に伝えたのは
また後日の話である。


佐助曰く、あの時の旦那の情熱と剣幕は
意中の女性になんとか振り向いてもらおうとするそれに近いものがあったということである。